#速報東京パラ #ゴールボール
/
チームの気持ちの安定剤に
\
日本初勝利!🎉
試合中も声をかけ続け仲間を支えた
#浦田理恵 選手談話豊富な試合経験を生かし、
どんなときも落ち着いて
チームの気持ちの面での
安定剤となれるように意識した。#東京パラリンピックhttps://t.co/52PoUc0xDI— NHKスポーツ (@nhk_sports) August 28, 2021
東京パラリンピックでは「女子 ゴールボール 」が注目されています。
8月29日の「対アメリカ戦」では、大逆転勝ち! 念願の初勝利をきめました!(^^)!
ゴールボールは「目隠し」をしてボールの音を頼りにプレーする競技です。
2012年、ロンドンパラリンピックゴールボール日本代表女子は、決勝戦で強豪・中国対決。
日本女子はボールの音を察知する「高いディフェンス力」を発揮し強豪中国に勝利!!悲願の「金」メダルを獲得しました。
しかし・・・
2016年、リオオリンピックではその中国に準々決勝で惜敗という結果。
金メダル連覇は叶わず悔しい涙を流しました。
しばらくはメダルから遠ざかってしまったゴールボール日本女子でしたが・・
2018年アジアパラリンピックでは予選から「全勝」で決勝進出へ進み
決勝で、因縁のお相手「中国」と対決!
「鉄壁の守備」と「力強いスロー」で
リベンジマッチに勝利を果たしました。
東京パラリンピックへ向けて良い出発をきった女子日本チーム。
鉄壁の守備力に「得点力」がプラスされ、金メダル獲得が期待されている注目の競技です。
選手それぞれが障害というハンディキャップをかかえながらも、自由がきかない自分の身体と向き合いひたむきに挑戦する姿は
私たちに「勇気」と「感動」を与えてくれます。
華やかなパラ舞台の裏側にある選手1人1人の障害ストーリー。
今回は、女子ゴールボール副主将、浦田 理恵さんの障害理由や経歴をご紹介していきます!
\\#WEB でも配信中📱💻//
━━ NOW ━━
😎#ゴールボール
日本代表副将 #浦田理恵 選手がアメリカに挑んでいます🔥現在、3-2でリード‼https://t.co/m2kpGNAuKx— パラサポ|パラリンピックサポートセンター【公式】 (@parasapo) August 28, 2021
浦田 理恵さんのプロフィール(ゴールボール副主将)
名前 | 浦田 理恵 (うらた りえ) |
---|---|
英語表記名 | URATA Rie |
強化ランク | B |
ポジション | センター |
競技歴 | 16年 |
障害名 | 網膜色素変性症 |
生年月日 | 1977年7月1日 |
身長 | 159cm |
クラス | B1 |
出生地 | 熊本県南関町 |
活動地 | 福岡県福岡市 |
浦田 理恵さんの障害「網膜色素変性症」とは?
ゴールボール(副主将)浦田理恵の障害名、「網膜色素変性症」は、網膜に異常をきたす遺伝性の病気です。
「もうまくしきそへんせい」と呼びます。
主な症状は、 夜盲や視野の狭窄、視力の低下などがみられ、数年~数十年をかけてゆっくり進行していくのがポピュラー。
何らかの理由で遺伝子にキズができ光を感じる組織の網膜が徐々に衰えます。
病気の原因となる遺伝子の種類は複数あり、原因によって症状が多岐にわたることが特徴。人口約5000人に1人の割合で発症します。
初期の自覚症状は夜盲(鳥目)が多く
「星が見えなくなった」
「暗いところが見えにくい」
・・といった症状がみられます。
浦田 理恵さんの障害「網膜色素変性症」は治らない?
網膜色素変性症は、日本の失明原因トップ5にランクインしている疾患です。
残念ながら現時点で「特効薬」はないですが、病気の進行を遅くする薬はあるそうです。
近い将来、有力な薬がでる・・との報告も!
一日も早く、この障害に苦しまれている方々の希望になる薬が開発されることを願います。
浦田 理恵さん(ゴールボール)の成績
東京パラ・ゴールボール副主将を務める浦田 理恵さんの成績です!
- 2014 インチョン2014アジアパラ競技大会(韓国)3位
- 2015 アジア・パシフィック選手権大会(中国)1位
- 2016 ジャパンパラゴールボール競技大会2位
- 2017 ジャパンパラゴールボール競技大会1位
- 2017 アジア・パシフィック選手権大会(タイ)1位
- 2018 インドネシア2018アジアパラ競技大会(インドネシア)1位
- 2018 日本ゴールボール選手権大会2位(九州なでしこ)
- 2008 北京パラリンピック7位
- 2012 ロンドンパラリンピック金メダル
- 2016 リオパラリンピック5位
浦田 理恵さん(ゴールボール)が東京パラ日本代表までの経歴
浦田理恵さんがゴールボール日本代表になるまでをダイジェストで!
20歳で「網膜色素変性症」発症。両眼視力を失う。
浦田理恵さんは、熊本県玉名郡南関町出身です。
小学校教師を目指していましたが、20歳の時「網膜色素変性症」を患い、両眼を失明してしまいます。あまりのショックで一時期はひきこもり生活に・・・。
落ち込む浦田理恵さんに、ご両親は「自分で出来ることを捜しなさい。頑張りなさい」と励まされたそうです。ご両親の言葉に後押しされ、浦田理恵さんは立ち直ることができました。
鍼灸マッサージを免許取得。ゴールボールとの出会い。
鍼灸マッサージの免許取得をし、視力センターへ入所された浦田さん。
そこのクラブ活動にあった「ゴールボール」に入部をし練習に励みました。
2006年の7月にIBSA世界選手権大会へ初参加。夢の国際大会デビューを果たします。
その後、ロンドンパラリンピック日本代表に選出され、団体競技では日本初の金メダルを獲得。ゴールボールの名選手へと成長をとげられました。
今季の東京パラリンピック日本代表では「副主将」に抜擢されチームをけん引します!
浦田 理恵さん出演「ドゥーモ・見えない世界」が大反響を呼ぶ!
浦田 理恵さんは、九州で放送されるローカル番組(KBC)「ドォーモ」へ出演されていました。
「挫折」した人をテーマに特集され浦田理恵さんが出演。彼女の挫折から復帰ドラマが大反響をよびました。
かわいいルックスも人気を集め、この番組を機に一躍有名になったそうです。
浦田理恵さんは「障害は神様からのプレゼント」というメッセージを残されています。
「目が見えなくなって見えるようになったことがある」と、自らの障害とまっすぐ向き合う浦田さんの言葉は心に響きます。
この気持ちに至るまでには、相当の葛藤と困難、そして努力を積み重ねてきたことでしょう。
42歳になられる現在も(R3年8月)、相変わらずお綺麗でいらっしゃいますが、ご結婚はされていないようです。
まとめ
- 浦田理恵さんは過去に教師を目指していたが、20歳で視力を失い絶望。
- 両親の言葉「自分で出来ることを捜しなさい」で再起を目指すことができた。
- 鍼灸マッサージを免許取得し、そこでゴールボールと出会った。
- ロンドンパランピックでは金メダル、東京パラでは副主将に抜擢された。
- 名言:「障害は神様からのプレゼント」
今後も浦田理恵さんの活躍をみんなで応援しましょう!
がんばれニッポン!がんばれ浦田さん!