こんにちは。チャコです^^
東京パラリンピックの車いすバスケットボールが見事「銀メダル」を獲得!
日本至上初の快挙、素晴らしかったですね
金メダルをかけたアメリカとの決勝戦は60-64のわずか4点差。
強豪チームを相手に、大健闘の決戦でした。もう感動で心が震えました。
決勝戦でハイスコアを決めた「香西 宏昭」選手。
東京パラでの香西 宏昭選手のプレイはひと際目立ち、世界中から注目を浴びています。
香西 宏昭選手は先天性の障害をお持ちの選手です。
生まれつき、両膝下がないというハンディキャップを抱えた彼が、どうしてここまで強くなれたのか?どのような半生を送ってこの車椅子バスケにたどり着いたのか?
・・・などなど、みなさんにお伝えしていきたいと思います。良かったら最後までお付き合いくださいね^^
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香西 宏昭さんのプロフィール
香西 宏昭さんの障害・先天性両下肢欠損とは?
香西 宏昭さんの半生
2021年パラリンピックの活躍
香西 宏昭さんのプロフィール
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— 日本パラリンピック委員会 (@paralympic_jpc) September 6, 2021
名前 | 香西 宏昭(こうざい ひろあき) |
---|---|
生年月日 | 1988年7月14日 |
年齢 | 33歳 ※R3年9月時点 |
出生地 | 神奈川県 茅ヶ崎市 |
所属チーム | No Excuse |
ポジションクラス | 3.5 |
ハンデキャップ | 先天性両下肢欠損 |
義足 | なし |
強味 | オールラウンダー 高い得点力 |
香西 宏昭さんの障害・先天性両下肢欠損とは?
香西宏昭さんの障害は「先天性両下肢欠損(膝上)」です。
「先天性=生まれつき」足がない状態で産まれました。
生まれつき大変なハンディキャップを抱えながらも、幼少期~今に至るまでスポーツに打ち込んできたtという香西 宏昭選手。
香西 宏昭選手の障害・先天性両下肢欠損について調べてみました。
先天性両下肢欠損の原因は?
先天性欠損の原因は、それぞれに異なるのでこれが原因と突き止めることはできません。多くの症例から、障害をもたらす要因となり得るものとして以下理由があげられています。
特定の薬品または化学物質の曝露
妊娠中の特定の感染症
危険因子と考えられること
その他に、危険因子となり得ることとして、以下も研究がされています。
飲酒
喫煙
糖尿病の管理不良
35歳以上での妊娠などがあげられる
香西 宏昭さんの半生・車椅子バスケとの出会い
生まれながらのハンディキャップに対して、香西 宏昭選手はこれまでどのように向き合ってきたのでしょうか?節目ごとに追っていきたいと思います。
小学校時代はサッカー少年だった
小学校低学年の頃、同じマンションの友達とよくサッカーをして遊んでいたそうです。
車椅子で両足がないのにどうやって…?サッカーをプレイしていたのでしょうか?
マンションの狭いスペースでサッカーをしていたので、車いすの大きさが功を奏してディフェンスとしてはけっこう使えたんですよ(笑)
出典:https://kurashicom.jp/6139
なるほど~!
車椅子のサイズ感を強味にして、サッカーを楽しんでいたんですね^^ハンディキャップを強味に変えてしまうポジティブな考え方、素敵です。
とにかく球技が好きだったという香西 宏昭選手。障害の有無に関係なく、肩を並べて遊べる友達に恵まれていたことがうかがえ、ほっこりしました^^
小学校6年生で車椅子バスケと出会う
小学6年生の12月。
香西 宏昭選手のお母さんが「地元新聞紙で車椅子バスケの体験会開催」の知らせを見つけ、そこにお父さんと参加したのが始まりです。
香西選手は、競技用に使用されていた「車椅子」に強い関心をもったそうです。
軽量・自由な小回り、そしてスピード感。
普段使用している車椅子とは全く違う感覚。それが楽しかったといいます。
そして、体験会で指導をしてくれた「千葉ホークス」の選手が輝いて見えたこともあり、キャプテンからの誘いに即答で入会しました。
バスケのキャンプで運命的出会いを果たす
チームに入会した数か月後、香西 宏昭選手は夏休みのバスケキャンプに参加をしました。
そのキャンプには、ゲスト指導者として召喚されていたイリノイ大学のマイク・フログリー監督。彼は世界の名将と呼ばれる素晴らしい指導者。
キャンプの時、名将マイク氏から「イリノイ大学に来ないか」と誘われたそうです。この時から、香西 宏昭選手には、きらりと光るセンスや才能があったんですね。
キャンプの最終日に、マイク氏から「10年後が楽しみで賞」をもらいました。
香西 宏昭選手はこの出来事をきっかけに、「世界で車椅子バスケする将来」を意識するようになりました。
マイクさんがアメリカに帰国する日、家族で成田空港まで見送りに行った。出発前、マクドナルドに入ったマイクさんはナプキンを一枚手に取ると、そこに階段の絵を描いて、香西少年にこう伝えた。
「バスケも勉強も、一歩ずつ階段を登りなさい」
出典:https://kurashicom.jp/6139
高校卒業後、単身でアメリカへ
高校を卒業した香西さんは単身でアメリカへ渡り、イリノイ州のコミュニティカレッジで2年間英語を学びました。
不安で、寂しくて、日本を発つ前は1週間も食事がまともに食べられなかったのだとか。出これだけナーバスになりながらも留学を決意した香西 宏昭選手。
13歳の時にキャンプで出会ったマイク氏。長きにわたり、香西 宏昭選手へ熱心なメールを送っていたのです。
マイク氏と交流しているうちに、香西 宏昭選手は全米屈指の強豪チーム、イリノイ大学へ編入し、車椅子バスケで自分の力を試したい強い意志を固めました。
イリノイ大学へ見事編入!そしてチームリーダへ昇格
語学勉強の努力も実り、イリノイ大学へ編入した香西 宏昭選手。
まだまだ英語力も低かったため、監督やメンバーが何を言ってるのかもわからない環境に身をおくことになりました。
でも負けん気の強かった香西選手。自分のテクニックを見せつけて、必死にアピールを続けました。その後、香西選手はすぐにレギュラー入りを果たし、主力選手に成長を遂げます。
2010年の全米大学選手権では大活躍をしチーム優勝に大貢献。誰もが認める名プレイヤーとなった香西選手はイリノイ大学のチームリーダーに任命されました。
マイク氏から「10年後が楽しみで賞」をもらったちょうど10年目の出来事でした。その後もトップアスリートへの階段を着実に上りました。
東京パラリンピックでは4度目の日本代表選手に選ばれ、リーダーとしてチームを引っ張り、日本車椅子バスケ至上初の銀メダルを勝ち取るまでの選手になったのです。
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香西選手のシュートが正確且つボールの軌道が綺麗でスラムダンクの三井寿に見える。#パラリンピック #車いすバスケットボール pic.twitter.com/1gY4pFRGz2
— てんげるまん🌀tengelmam (@fcbliebe1900) September 3, 2021
まとめ
東京パラリンピックの日本代表リーダー、香西 宏昭選手の障害と半生について紹介させていただきました。生まれつき両足ひざがない障害・先天性両下肢欠損を抱えながらも、強い信念とすばらしいコーチとの運命的な出会い。そして銀メダルの快挙まで達成。これからもまだまだ活躍が期待される香西 宏昭選手を、みんなで応援しましょうね!
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